2Dゲームの魅力を、往年の人気作から徹底研究

懐かしの2Dドットゲーム

数ある名作の中で

ゲーム史について話し始めるとやはりかつてといった話題から触れていかなくてはならないが、人によってゲームに対する思い入れが強いのは実際に自分自身がプレイしている基準から出てくる。ゲームは世代に関係なく、古いゲームでもハードさえ揃っていればいつでもプレイできる。ただ機械なのでいつまでも操作できるというわけでもないので、定期的なメンテナンスを行う必要があるわけだが、懐かしさのあまり時間の経過を忘れてしまう。それこそ何時間とプレイして、気づけば夜中の3時になっていた、なんて経験はないだろうか。学生時代は休日を一日宛てがってゲームをしていた日々を思い出すと、あの頃が懐かしく思える。

ですが今になって冷静に考えてみると、ゲームをプレイするというのは何気に考えて操作しなければならないという点だ。今でこそゲームをすればこうすればこうなって、という順列性を考えて行動できるようになったが、子供の頃はそれが出来なかったという人もいるはず。そういう人は決まってゲーム嫌いになっているのではないだろうか。個人的に振り返ってみても、最終的に攻略していくための手段として攻略本が最初から最後まで手放せなかった、なんて思い出が蘇ってくる。この部分も本来のゲームの楽しみ方からは外れてしまっているのだが、幼少時代などほとんと本能のままに動き回る動物同然の生き物なので器用に物事の順番を考えているとなったら、可愛げが感じられない。

ただゲームとなると普段野生児並みに活動しているはずの子供が、突如として賢くなるなどの豹変も見られる。今でこそインターネットを用いれば攻略サイトを利用して簡単に調べられるようになりましたが、90年代などインターネットがまだ流行る前です。普段絶対に使用することのない脳細胞をフル回転して、本来分かるはずのない問題にも謎解きに挑んで解いてしまっていた人達がいるのだから、ゲームってある意味隠れた人間の潜在能力を引き出しているのかもしれません。

こうした頭脳が求められるゲーム作品は数知れません。それこそ90年代に子供時代を過ごした人たちにとっては、頭を使って解決しなければならない状況に至った作品の中には、往年の作品も例外ではない。

懐かしのドット絵なファイナルファンタジー

90年代に発売されたファイナルファンタジーといえば、個人的に言えば一番思い入れが強いのは『ファイナルファンタジーⅤ』だ、この頃はまだ作品も現在のような3Dでリアルな肉感が感じられるキャラクターグラフィックではない、2Dドット絵が採用されていた。ゲームとしても非常にやりやすかったほうだと思う、それこそ難しいと感じる部分も多少なりとも感じられるが、部分的に言えば年齢にな関係なく誰でも遊べる作品だったのは間違いない。

問題はその後に発売された『ファイナルファンタジーⅥ』だ。この作品、物語自体もかなり複雑になっていて、何よりそれまでの作品にはなかった群像劇といったように主要登場キャラ全員が時に主人公としてフューチャーされるため、色々な意味でそれまでに見られなかった作品の傾向だった。2Dドット絵ゲームという視点でいえば、この作品がファイナルファンタジーシリーズ最後のドット絵世代となっている。

もちろん発売された当初にプレイをした、そして面白いと感じながら先を進めていったが、途中に出てくる選択肢を間違えてはいけない、こういう行動を起こしてしまうと仲間になるはずのキャラが仲間にならないなどなど、ゲームとは考えるものだと知らなかった子供時代は本当に苦労した。ある時懐かしくなったのでゲームをして実感したのは、

『ゲームって思考力養うのには優れているのでは?』

ということだった。長時間ゲームをしていたら廃人になるなどと揶揄されていますが、ゲームをもっと活用すればむしろ賢くなるのではないか、などとその時思ってしまった。

一番面白かった時期

2Dドット絵ゲームとしては、何と言っても外せないのがファイナルファンタジーシリーズ、Ⅵ作目までだ。この内全てプレイした人もいるだろう、中にはⅤをしてからⅣやⅥをしたと言う人もいるかもしれません。時代の特性を持ってして発売された当作品はやはりかつての全盛期として傑作といえる出来なのは言うまでもないでしょう。王道中の王道作品として多くの人の興味関心を惹きつけ、シリーズでありながら全てが独立した作品としながらも、世界観を一定にしながら全く違う世界観を演出して楽しみを膨らませていた。

RPG作品、その中でも2Dドット絵ゲームに焦点を絞ればこのシリーズをおいて他に語るべくもないと、そう思っている人も少なくないだろう。

クオリティこそ

作品そのものの質については、現在のものとは比較するに値しないほど旧時代のものです。しかしそこがまた良い、古き良き時代を羨むなどと壮大なことを口走るわけではないが、その時だったからこそ作り上げられた傑作品とするならこれ以上申し分はないだろう。とはいえ、やはりやりこみ要素が強い作品だった点は否めないため、自分のプレイした経験と凄腕すぎるプレイヤーと比較した時に地味すぎて嫌になったと、何故か自己嫌悪に苛まれたという人もいたと思う。